当店が京都の「食」に携わって180年近く経ちますが、その歴史は様々です。
明治時代以降から長きに渡り卸売業を営んでいた時期がございました。
「そうは問屋が卸さない」
物事は都合よく進まないという意味合いで、
こんな言い回しが当時はございましたが、
卸売業はそれほどステイタスがあったようです。
この看板もその頃のものでして、
東京の製造業者が当店に商品を卸す特約を証すものです。
ウチも当時は店名が「大橋庄三郎商店」でした。
多分、店主が三代目から四代目の頃でしょう。
ちなみに、製造業者の田中新蔵様は当時福新漬けの普及に
尽力されたという記録が残っております。
歴史の重みを感じます。